もう「自分のケツは自分で拭け」より「自分のうんこは自分でしろ」を言わなきゃいけない
このマンガは拙著『わたしは、こうして“本当の自分”になる。 「自己肯定感」の低い私が幸せになった5つのステップ』の宣伝のために制作したもの。
なかなか宣伝って難しいですね。
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このマンガがバズれば本の宣伝になるかも…と淡い期待を抱いたものの
鳴かず飛ばずでした。
フォロワーが少ないので無理もないのですが…
でも、心をこめて書いた本です。
誰も宣伝してくれなくても、バズらなくても、
著者である私だけは、
ずっとずっと
この本を宣伝し続けたいと思っています。
この「支援者と当事者のためのトイレ理論」は、本の中にある図のなかでもお気に入りの図です。
私はうつでほぼ寝たきり状態だったところから、社会復帰し、現在は一粒たりとも向精神薬の類は飲んでいません。
私のまわりには、私と同じようにうつ状態から社会復帰まで果たし、病院とも縁を切ったひとたちが何人かいますが、
その人たちにこの図を見せると、深く納得してくれます。
立ち上がった人たちは、「自分のうんこは自分でする」を腹の底からわかっています。
トイレまで連れて行ってもらってもかまわないし、
下着を下してもらってもかまわない。
ケツだって拭けないのなら拭いてもらえばいい。
だけど、
自分のうんこをほかの人にしてもらうのは不可能なんです。
本人じゃなきゃどうにもならない、
本人じゃないといけない領域ってあるんです。
それを意識していない支援者・当事者が多い。
ささえ、寄り添い、はげまし。
必要ですよ。私だって、たった一人でうつ状態から抜けたとは思っていません。
「社会復帰まで導いてもらう」と考えている人と
「絶対社会復帰してやる!」と考えている人とでは、
目指すところは同じでも
本当にキツイ場面で踏ん張りがきくのは後者です。
病院で、歩行のリハビリをする人にしたって、
入院しているベッドから車いすに乗り誰かに押してもらって向かう人と、
ゆっくりでも自分の足で歩いてリハビリルームに向かう人とでは、
リハビリの効果の出方も違ってきます。
リハビリルームだけでリハビリするか、
生活のすべてをリハビリととらえるか、
本人次第です。
支援者が、
考えさせずに教えてしまう。
選択させずに決めてしまう。
本人にやらせずこなしてしまう。
当事者がそれを「支援してもらった」と解釈してしまう。
支援者と当事者が「支援できない」「支援すべきでない」境界を理解していないから起こることです。
境界を理解していないと、
当事者は自立できず、
支援者は自立を阻むことになります。
支援する側も、支援される側も、
「これはうんこを他人にしてもらうことにあたらないか?」と
いちいち確認してほしいと思うのです。