共感覚と宮沢賢治

スポンサーリンク

柱の節の形からシタールに似た音が生じる共感覚

今回のマンガにて、メインで紹介したのが形から音を感じる共感覚。
この共感覚の記憶は古く、祖母に言われるまで思い出すことができませんでした。
人生の早い段階で消えてしまった共感覚です。

柱をなでながら「でこんでこん」と言っていたけど、それは形から生じた音を口で再現していたんだ、と友人知人に話すと、

「そんなことされたら普通に心配になる」

…そう…だよね。

共感覚があると、知的な遅れがあるように表出することがあるので、
子どもとかかわる大人のみなさん、判断は慎重に。

祖母に「でこんでこん」事件を教えてもらったことで
宮沢賢治のオノマトペにビリビリしびれたことを思い出し、
点と点がつながりました。

やまなしで一番好きなのは「トブン」です。
プールに潜ったときに耳に伝わってくるボール状の物の落下音って、
まさに「トブン」だよなぁって。

「ジャボン」
「ドボン」
これだと大きかったり形が複雑なものが水の中に落下し、
しかも 水しぶきがたくさん飛んでる感じですが、
「トブン」にすると、
水しぶきはあまり飛ばない丸い形と、人の手のひらに収まる程度のものをイメージできるし、
「トブン」の「ブン」で、一度沈んでからすぐ浮き上がる感じもイメージできます。
やまなしの落下音にぴったりです。

宮沢賢治は音楽を聴いて言葉や映像が浮かぶ共感覚があったといわれています。

共感覚があるとオノマトペを作れる、というわけではありません。

幼い私が自分の共感覚で得られた音を再現しようとしたときに、
オノマトペ(厳密には擬音語)を作るしかありませんでした。
それが、
文学において私の“推し”である宮沢賢治の作業と同じものだったことが、
私にとって、うれしく、誇らしくあるのです。

akkoworksフォローボタン

フォローする

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

アドセンススクエア