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人は見たい世界を見ている
友人が小学一年生の子どもの夏休みの工作に、
ものすごく時間を取られたと話してくれたことがありました。
子どもにどんなものを作るかいくつか提案をし、
子どもの希望にそった材料を買い、
パーツのグラデーションのある色塗りや
細かい部分は全部友人がやったそうです。
実際の作品を見せてもらいましたが、
小学一年生の作品とは思えないすばらしい出来栄えでした。
子どもがやったことは、
大きなパーツのベタ塗りと、パーツ同士ののりづけ。
私は曲がりなりにも美術系の短大を出ています。
絵具で描かれた作品については、
全体も見ますが、ぐっと近寄って筆跡まで見ます。
筆跡は作家の声や息遣いのようなもので、
どうしようもなく個性がでるところです。
その小学一年生の夏休みの工作は、
絵の具がたっぷり乗った、おおらかでダイナミックな筆跡と
丁寧に絵の具を重ねた繊細な筆跡とが混じりあっており、
一人の作家の声だけではないのがわかりました。
「これ、大人が手伝ったってバレバレじゃん」
と友人に言うと、
「いいの。学校は「親がちゃんと子どもの宿題を見てあげている」と評価してくれるから」
という答えが返ってきました。
友人の言葉を聞いて、
「夏休みの宿題を親が手伝ったとバレてはいけない」という私の感覚は
とうに過去のものなのだと実感しました。