夏休みの宿題 親がどこまで手伝うか

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大人でさえ、「やったこと」「してもらったこと」の境目があいまいになる

自分の実力を、
盛らず、
削らず、
知っている、ということ。

やりとげたことを自分のデータとして持っていて、
新たな仕事を任されたとき、
自分の実力を少し上回る仕事でも、
請け負うことができます。



私はたくさんの企業で働いてきました。
大きい企業になると、
一つの部の課を細分化していて、
課長がいっぱいいたりします。

たくさん課長がいると、
課長が誰かで課の成果に差がでます。

成果の差は、課長が個人として仕事ができるかどうかより、
課としてのまとまり、
部下がうまく機能しているかどうかがカギだという例を
いくつも見てきました。

部下がうまく機能する課の課長には、
「なるほど」と思わせる特徴がいくつもありました。
その中のひとつが、
「課長が部下を立てることができる」
これをさらっとできる課長の課は、
とてもうまく機能していました。

その課長自身、自信がみなぎっている方だったので、
部下を立てたところで自分の立場が揺らぐことはないのを
よくわかっていた様子でした。

この真逆の
「部下の働きを自分の能力と勘違いしている」課長の課は、
よどんだ空気をまとっている感じがして、
課長がどんなに厳しくしても、成果が上がらないということが起こっていました。

大人になっても、
「やったこと」「してもらったこと」の境目を正しく認識するのは簡単なことではなさそうです。

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