感覚過敏ぎみで発達障害風に見えたであろう私

あるとき
親子連れが私の目の前を歩いていて
小さな女の子が母親と一度つないだ手を振りほどいたことがあって
母親が
「どうしたの?」
と声をかけていました

私は心の中で
「お母さん、その「どうしたの?」は自分の心にも聞いてみて」
とつぶやきました

もしかしたら女の子は母親の負の感情を手をつないだときに読んでしまい
それがイヤで手を振りほどいたのかもしれないと考えたのです

感覚が鋭敏だとスキンシップを嫌がるのは当たり前のこと

親も
子どもにかかわる専門家も
「発達障害かもしれない」「発達障害なんかじゃない」
といった思いを持って子どもを見るのではなく
心をできるだけまっさらにして子どもを観察してほしいと思うのです

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スキンシップをイヤがる子にはスキンシップをする前に心を整える

これをやるだけでずいぶん違うと思うんです

落ち着いて
深呼吸して
身体の力を抜いて

自分の皮膚がいいおしゃべりをできるように心を整えてから触れていく…

スキンシップは対話です

言葉をともなわないために
思いがストレートに心に聞こえてきます
スキンシップを通じて心に聞こえた思いは
意識することも言語化することも難しいので
このことに言及している人が少ないのでしょう

言語化できなくても
確かに伝わっていて影響を及ぼします

親の心が整うと子どもの病気も減る?

私の母親は負の感情をつねに口に出して言っていたわけではないのですが
心の中が負の感情だらけなのを
幼い私は母親の身体からビリビリ感じていました

私はひんぱんに発熱や腹痛のでる子どもでした
具合の悪い日が多すぎて
「体が弱いから大人になれないだろう」と自分で思っていたほど

思い返せば
あの病気の多さは
母親の身体から感じる負の感情に毒されていた状態だったと思うのです
母親の危機は子である私の危機で
危機を感じることで不安になり
その不安が免疫力を弱め私を病気にしていたのかもしれません

だからその真逆の環境にあったなら
私はものすごく健康な子どもになったのかもしれないと思うのです

これは
「お前が心を整えられないから子どもが病気になるんだ」と
親を責める理由に使ってほしくなくて
子どものケアはもちろんだけれど
親のケアも並行して周りの人たちができるようになったらいいという
祈りを込めて書いています

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