うさぎのみみちゃんの漫画とakkoの漫画が酷似している件

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これはパクりなのか?

結論から言うと、疑わしいものの断言できない。
だから、少しばかりカマトトぶって
「ここまで同じことを考える方がいるんだと驚いてます!」
と当のスレッドに書き込みしたものの、特に反応はなし(笑)
私も自分のところに何度も何度もねちっこくコメントを書かれるのはウンザリするので、
思うところは自分のブログに書くことにした。

私はネット上のパクりネタはよく見るほう。
アニメのエンデングに振付を無断で使用されていたケースとか
美人銭湯絵師がイベントで描いた絵がイラストレーターの絵にそっくりだったケースとか。。。

なぜパクりネタを見るかというと、
パクる方もパクられる方も、
パクりというものにかかわる・巻き込まれることで、
その人の本質みたいなものが見え隠れする。
そこが面白いのだ。

さまざまなパクりを鑑賞してきたので、
パクりについては
酒を酌み交わしながら数時間語れる勢いの私だけれど
今回のケースを私がパクりだと判断するのは難しいと思ったわけで。

自己肯定感がある人の特性は似ている。
自己肯定感がある人は自己肯定感という言葉や概念に興味がない。

だから
「カブトムシは成虫になる前にさなぎになります」
という生態についての事実を私が漫画にしたとして、
他の人が
「カブトムシは成虫になる前にさなぎになります」
という漫画を描いたら、
「パクリだ!」とは言えないのはお分かりいただけるかと思う。

しかしながら、
うさぎのみみちゃんが描いた漫画と
私の漫画とでは起承転結が同じだ。

起→自己肯定感がある女の子の説明
承→自己肯定感がない自分から自己肯定感がある子への問いかけ
転→「自己肯定感って何?」というセリフ
結→自己肯定感がある人は自己肯定感を意識しないのだ、と納得する自分

構成がここまで似ることってあるだろうか?
自己肯定感がある人への解釈がここまで似ることってあるだろうか?

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